この記事には嘘の記述しかない

どうもこんにちは
ゲゲゲの鬼太郎です
うそです
しのぶです


エイプリルフールはこれと言って嘘をつく暇もなく終了しました
なのでちょっとこの記事のタイトルにパラドックスを仕掛けました
有名なエピメニデスのパラドックスです
クレタ人は嘘つきだと、クレタ人は言った」という自己言及のパラドックスです
この問題は解決しようとすると無限に思考することになってしまいます
考えるだけ無駄なので、先に進みましょう
エイプリルフールという嘘をついていい日からは、いくつか面白い考察ができます
ひねくれ者の私はこんなことを考えたりしていました


「エイプリルフールでついた嘘は一年間実現しない」というジンクスがあります
たとえばTwitterかなにかで、「彼女(彼氏)ができました!」とつぶやいたとします
それが嘘であった場合、この一年間(来年の3月31日まで?)は彼女(彼氏)ができることはないということです
しかしエイプリルフールであることを利用すればそんなジンクスもひっくり返すことができます
「エイプリルフールでついた嘘は一年間実現しない」というものが嘘であった場合、一年間実現しないというのは嘘であるから、エイプリルフールでついた嘘は一年間のうちに実現する可能性を再び見いだすことができます
要するに「エイプリルフールでついた嘘は一年間実現しない」という嘘を事前についておけば、エイプリルフールでついた嘘はこの一年のうちに実現できるということになるわけです
実際はこんな単純な話ではなく、論理的に間違った解釈もありますが、意図的ですし、そもそも「エイプリルフールでついた嘘は一年間実現しない」というジンクス自体論理的ではないので、この話はここまでにしましょう。


たとえば、フォロワーさんがこんなことをつぶやいていたとします
「さっき百億万兆円拾った!!!」
明らかに嘘であると皆さんは気付くことができます
そもそもそんな単位存在しませんし、存在していたとしても、そんな金額を一生のうちに、しかも言うなればエイプリルフール当日に拾う確率なんて、隕石にあたって死んでしまう確率よりも低く、信用することはできません
では、「さっき十円拾った!」とつぶやいている人がいたとします
これを嘘かどうか判断するのはさっきよりも難しいはずなのです
そもそも嘘を本当だと認識する人がいた場合、嘘をついた人は何かしらの利益を得ることができます
じゃなきゃ嘘をつく理由がありません
エイプリルフールに嘘をつく理由は、だまされたという気持ちを相手に抱かせて、あざ笑うというところにあるでしょう
十円という現実的で、なおかつどうでも良い情報、ようするに本当だとしても嘘だとしてもどうでも良い場合、嘘をついて得るメリットはほぼないと言っていいでしょう
だとするとこの情報は本当だと考えることができます
とまぁ、ここまで考えさせて嘘でした、という場合のメリットはそこそこ存在しているわけですが、こんな考えを十円拾ったという一文から巡らす馬鹿は私以外にはなかなか存在しないことを考えると、その可能性は低いと言っていいと思います
利益不利益で物事を考える、いわゆる経済学のゲーム理論に近いような考え方ですが、あくまでエイプリルフールのつぶやきのお話です
エイプリルフール以外でのつぶやきに関しては知ったことではありません


エイプリルフールとは真実さえも嘘になりがちです
本当に千円拾った人、本当に実家が火事になった人、本当に恋人ができた人は、どんな風に伝えれば嘘でないと信じてもらえるでしょうか?
そもそもその認識自体が間違っていることもあるでしょう
嘘を信じることで幸せになれることもあるのだとすると、嘘をつくことはあながち悪いこととは言えないかもしれません
私は今日、自転車を新しく買い替えました
信じるか信じないかはあなた次第です